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1993年の米騒動 ― 平成の日本に起こった米不足問題
日本のお米をめぐる状況を変えた大騒動
日本がお米を外国から輸入するようになった大きなきっかけの1つが1993年に起きた米不足でした。お米の値段が上がり、店頭から姿が消え、「お米が食べられないかも!?」と誰もが心配する大騒動となりました。この社会現象とその後の影響についてご説明しましょう。
米不足が起こった原因
事の発端は1993年(平成5年)の天候不順でした。梅雨前線が非常に長く日本列島に留まって記録的な冷夏となり、お米の収穫量が例年の7割程度にまで落ち込んでしまいました。日本全体での消費量よりも少ない量のお米しか獲れなかったのです。
不安になった多くの消費者が買いだめしただけでなく、卸売業者の側でも売り惜しみをするなど混乱が起きました。スーパーやお米屋さんの店頭からお米が消えてしまう事態になったのです。
外国からの緊急輸入
対応を迫られた日本政府は外国のお米を緊急輸入することを決めました。それまでお米の輸入を一切認めていなかった日本にとっては非常に重要な意味を持つ決断であり、これをきっかけとしてお米の輸入自由化および食糧管理制度の終焉へと日本のお米に関する状況は大きく変化していくこととなりました。
「困った時にはお米を輸入したいが、普段は一切認めない」という言い分を国際社会で通すことは当然できなかったのです。
タイ米をめぐる問題
緊急事態だったため十分な輸入量を確保することが難しい状況の中で、たくさんのお米を日本に輸出してくれたのがタイです。しかしこのタイ米を巡って問題が起きます。そもそも日本で食べられているお米は粒の短いジャポニカ米で、タイ米は粒の長いインディカ米という種類の違うお米です。味わいや調理法の異なるタイ米を日本のお米と同じように食べようとしたところ、そのパサパサとした食感や独特の風味が嫌われてしまいました。
せっかく送ってもらったタイ米の多くが食べられないまま捨てられていきました。調理法などタイ米(インディカ米)に対する正しい知識が十分でなかったことが残念でなりません。
次の年の1994年は暑い夏となってお米の収穫量が回復したため、「平成の米騒動」と呼ばれた社会現象もほぼ終息を迎えました。